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 Mobara Baptist Church

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「生きるにしても、死ぬにしても」

2017年11月5日 塩山宗満

 ローマの信徒への手紙 14章7-9節 (新約 294ページ)

 召天者記念礼拝は今ここにいるわたしたちが、天に召されていった方たちの地上での歩みを思い起こし、その方たちが主イエスと出会い、信仰を与えられ、主に従う者となった恵みを感謝し、主をほめたたえるため、そして、いつの日にかわたしたちも召されていくとき、主のもとに憩うことができるよう願い祈る時なのです。
 「わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。(14:7-8)」キリストを信じている私たちは、生きていることのすべてが神とのかかわりであるだけでなく、死ぬこともまた、これは単に運命や、時がくると、というのではなく、死ぬことですら主にこの身を献げることなのだ、とパウロは言います。生きていくことと死ぬことは、私たちを決定的に分けてしまうと思っていたのですが、その垣根がキリストによって壊されたので生きることも死ぬこともキリストを救い主と信じているものにとってはどちらも、主のためなのです。
 ここでパウロが語っているのは、あなたたちはあなたたちに徹底的に関わってくださる主の方を向いて生きているか、主の方を向いて死んでいくのか、その方向をしっかり見極めて生きていこうではないか、ということなのです。神が私たちを徹底的に愛してくださったのですから、「イエス・キリストを救い主と信じて」その愛に応えた生き方をし、その愛に応えて死に向かっていきましょう。


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牧師 塩山宗満