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 Mobara Baptist Church

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「モアブの野へ行ったけど」

2019年9月1日 塩山宗満

 ルツ記 1章1-22節 (旧約 421ページ)

 ナオミは主なる神がわたしを苦しめた(20節)と言います。私たちが出会う悩みとか苦しみはどこからくるのでしょうか。苦しみは、人間が神から逃げ出そうとするときに出てくることがあります。聖書はこれを罪と言っています。そこから、自分がもがいて苦しみを作り出していることもあります。他の人が苦しみを私たちに影響を及ぼすことがあります。時には、ナオミが感じたように神から試練として与えられるものもあります。それから、なんとも説明のしようがない、まったく不条理ということばでしか言い表せない理不尽な苦しみが出てくることがあります。ナオミはどうして、という問いも祈りもできなくなっています。この様に絶望的なところでも、実は神が次のステップを考えてくださっている、というのは2章以降を読んでいくと分かります。
 ルツ記の中心になる言葉はヘブライ語の「ヘセド」、日本語に直すと「思いやり」、「誠実」、「慈しみ」、「真心」などと訳されている言葉です。「どうか主がそれに報い、あなたたちに慈しみを垂れてくださいますように。(1:8)」で言われている慈しみがそれに相当します。このいつくしみやおもおいやりはただ気持ちの上で「がんばってね、お祈りしていますからね」というだけでなく、他の人が困っていれば、そこから救い出すことを具体的な行動として、自分の骨身を削ってでも取らなければならないことを語っています。この言葉がルツ記のいろいろなところに出てきて、この物語の背骨を作ります。どうぞ、ルツ記を読みながら、皆さんも、いつくしみとか思いやりとかのことを具体的に考えてみてください。


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牧師 塩山宗満