2025年5月11日 服部紘司
ガラテヤの信徒への手紙 2章15-3章6節
「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです(20節)」
20代半ばで教会に通い始めたばかりの頃、私にとって、キリスト教信仰は「選択肢の一つ」のようなものであったかもしれません。私の人生の主人はあくまで私であり、イエス様ではありませんでした。そのような私でしたが、様々な恵みの出来事を通し、また挫折や失敗を通して、神であるイエス様が私の人生を支配しておられるということを少しずつ悟るようになりました。振り返ってみると、本当に「生きているのは、もはやわたしではない」と感じます。「わたしの内に生きておられるキリスト」が、弱く小さな私を通して、大きく働いてくださったからです。主に栄光!
ヨハネによる福音書15章5節
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」