2007年2月4日 塩山宗満
ローマの信徒への手紙 2章17-29節
ユダヤ人は、自らがユダヤ人であることに誇りを持っていました。自分たちの民族がただ一人の天地創造の神様に選ばれて、導かれて歩んできており、道しるべとして律法が与えられていて、神様のみ心を知っているからなのです。でも、パウロはユダヤ人があれほど神様のことを称えているのに、盗みをし、姦淫をし、偶像礼拝をし、律法を破ってしまっているので、異邦人を神様の方へ引き寄せることが出来ず、そのことによって神様を侮っていると言います。
このことは今の私たちにも語りかけられているのではないでしょうか。ここにお集まりの皆さんは殆どがバプテスマを受けておられます。日曜日には毎週このように教会に集まって、真剣に神様の言葉を聞いています。それはすばらしいことですし、大いなる祝福です。その上で、皆さんの心の中も、皆さんの毎日の生活も神様のみ心に従った生き方、暮らしかたをしているでしょうか。そう問われているのです。私たちは、神様に従って生きていきたいと願い、バプテスマを受け、また今日のように主の晩餐式にあずかることが出来ました。その上で、真剣に神様に従っていこうとする時、神様が求めるとおりに生きていくことが難しいことも分かってきます。そして苦しむのです。私たちは本籍を神の国に置かせて頂いていて、この地上で住んでいるところと茂原バプテスト教会に住民登録をしています。これは二重国籍ですから、そのことから生まれるあつれきや苦しみもあるでしょう。でも、自分が依然罪を犯してしまうということを自覚して苦しむことで、赦された罪人としての歩みすることになります。それは神様が見守っていてくださっていることの証しではないでしょうか。