2007年2月18日 塩山宗満
ローマの信徒への手紙 3章9-20節
この手紙の重要な主題の一つは、人は罪を持った存在である、ということです。パウロはまず、異邦人の方を向いて、あなたたちは律法を持っていないけれども、神様がご自分を啓示しておられるのだから、神様の存在はわかるはずであり、その神様に従っていないのは罪だ、と言います。そして、返す刀でユダヤ人に対して「あなたがたは神様に選ばれ、律法を与えられ、預言者たちの声も与えられているのに、また割礼というしるしも与えられているのに罪を犯してしまい、律法も割礼も無にしているのだ」と語ります。このことを私たち日本人に当てはめて考えてみると、私たちの歴史の中にも神様がご自分を示してくださっているところがあるはずなのに、私たちはそれに気づかず、罪を犯してしまっている、ということでしょう。私たちは自分が罪人かどうかというのは刑法、民法の範囲では分かるでしょうが、聖書が語る意味での罪はなかなか理解できません。これは、神様との関係のことだからなのです。
クリスチャンでも同じような、罪は他人事だと思う傾向があるのではないでしょうか。私たちも罪を自覚し、その上で神様を第一とすること、神様を畏れ、神様に従い、神様を愛し、神様を礼拝するところから私たちの毎日を作り上げていきましょう。一度救われたからもう安心だということではなく、日毎に赦され、新しくされていかなければならないのです。今日も祈った主の祈りの「我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」を心から祈っていきましょう。