2007年2月25日 塩山宗満
ローマの信徒への手紙 3章21-31節
このローマの信徒への手紙の最初から、パウロはユダヤ人も異邦人も罪の下に置かれていて、そこから逃れられないのだと語ってきました。律法を実行することによってはだれ一人、神様の前で義とされないと言います。そうすると、神様の裁きを避けることができず、人間には何の希望もない暗い未来しかないことになってしまいます。けれども、神様はそんな罪人である人間をなお、救いに導こうという愛を示されました。パウロはここで「今や、神の義が示されました」と宣言しているのです。
その神の義はどのように人間に与えられるのでしょうか。それは、主イエス・キリストを信じることによって、恵みとして与えられるのだと言います。これまでは、何かをしなければ、立派な人にならなければ神様からの救いを戴くことはできなかったのですが、それをただイエス様を救い主として信じるだけで「救い」をくださるというのです。イエス・キリストが歴史の中に切り込んできて、私たちの前に現れてくださったのです。私たちがすべきことはただこのイエス様を信じて、イエス様に従っていくことだけなのです。
パウロが、「イエス・キリストを信じることによって、神の義が与えられる」と語るとき、そこにはイエス様の十字架と復活の出来事が裏づけとしてあるのです。ちょうど、四旬節に入り、イエス様の苦難を思い起こす時でもあります。どうか皆さんも、祈りのカレンダーにある聖書を読みながら、イエス様の十字架への道に思いを馳せてください。