2007年3月11日 塩山宗満
ローマの信徒への手紙 4章1-12節
パウロはアブラハムが神に顧みられたのはなぜか、と問います。神様がアブラハムを選ばれたのは、彼がすばらしい実績を残していたからでも、彼が立派な人格を持っていたからでもありません。また、アブラハムの信仰がすばらしかったから、選ばれたのでもありません。神様は恵みとして、アブラハムを選ばれたのです。そして、3節「聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。」と書かれているところにつながっていきます。
よく働き神を畏れる人々、行いの成果を積み上げているパリサイ人ではなく、何の功績もない不敬虔な罪人、徴税人がイエス様の友であったように、パウロも教会も、何の功績もなく、むしろ世の中からは不信仰で、神様から失われているように見える人たちを敢えて義として下さる神様を信じることが求められているのです。
「自分の弱さを知っていても、そこで神様に委ねることができないときに苦しみを感じてしまいます」とある人が語っていました。パウロが言っているのは、私たちの状況がどうであれ、神様は私たちを恵みの中に入れてくださっているということです。そうであれば、私たちが困難の中にあるときも、いつも恵みのうちにおいてくださっているのですから、私たちはどのような状況にあっても恵みとして受け取っていればよいことになりますから、たとえそこに委ねきれない自分がいても、安心していいのではないでしょうか。