2007年6月17日 塩山宗満
マラキ書 3章1-12節、コリントの信徒への手紙二 8章6-8節
教会の信仰告白の3番目は「私たちは「十分の一と献げもの」を神の福音と信じます。」という言葉です。先週、田名網兄も言っておられたように、250人も会員がいる都会の教会から12人でスタートした田舎の教会。その中で神様の導きを戴き、祝福を戴くためには何を信じ、何をしていったらよいかを祈り抜いて、考え抜いてこの項目を加えたのでしょう。
わたしたちは、献げもののことを@主イエスの十字架と復活の恵みに出会ったことを感謝しそれに応えて自らを献げ、Bイエス様が頭となってくださっているこの教会の働きのために時間と財貨を献げることを恵みである、と受け止めています。
教会に来はじめた頃に誰かに献金はどれくらいすればよいのでしょうかと聞いてみましたが、答えは「神様とあなたが決めることで、何も基準はありません」とか、「旧約聖書では収入の十分の一という目安があるけど、自分で決めることですよ」といわれました。そしてそのように指導することは正しいのです。
献金には十分の一献金、または月約献金という神様と約束した献金があります。教会の活動を支え、全世界に神様の言葉が伝わるための献金です。どうぞ、教会員の方はこの献金を前もって用意しておいて、できるだけ月の初めに第一主日にささげましょう。それから礼拝献金、また、人生の節々に感謝を持って神様に献げる感謝献金などがあります。一方、教会としてはそれらの献金が神様のみ心に従って適正に用いられていることがはっきり見えるような年度始めの予算と毎月の会計報告を示すことが責任としてあるでしょう。