2007年7月15日 塩山宗満
ヨナ書 3章1-11節
ヨナは命の瀬戸際で神様に祈り、叫び、そこから「救いは、主にこそある」という信仰にたどりつきました。このことは、私たちに幾つかのことを教えてくれます。一つは、たとえ私たちが神様から離れようとしても神様は私たちをしっかり見ておられ、最終的には神様のところへ帰ってくるように招いてくださるということです。
もう一つは、私たちが苦しみの極みの時に、私たちが祈ればその祈りを聞いてくださるということです。私たちは時々どうしてこんな苦しみが、と思うようなことに出会うときがあります。神様のみ心が理解できなくなってしまうこともあります。そんな時でも、神様は私たちの叫びを聞いてくださり、解決の道を示してくださるとこの聖書は語っているのです。私たちも試練にあったときには、このヨナのように神さまからの訓練を受けているのだと受け止めて、乗り越えていきたいと思います。
例え私たちが神様に赦していただけないような罪を犯してしまうことがあっても、神様の怒りから私たちを守るために主イエス・キリストが十字架上で死んでくださったことを思い起こし、主イエスに従うことによって神様が私たちを生かしてくださるのです。「救いは、主にこそある」のです。この主イエスを信じて、この世をみ心に従って歩んでいこうではありませんか。
引用聖書 マタイ12:38-41 (Matthew)