2007年7月29日 塩山宗満
ヨナ書 4章1-11節
ヨナは神様からの一方的な恵みによって与えられたとうごまの木が枯れてしまったことで怒ります。「そのたった一本の木のことで悔しがるのに、12万人もの人間と無数の家畜がいるニネベの町を惜しまないでいられようか。だからヨナよ、わたしが『災いをくだすのをやめたこと』を理解しなさい」と神様は言われるのです。神様は自由に働かれるのであって、私たちの固定観念や常識では理解できないことがたくさんあるのだ、ということです。
先週の月曜日、サラン教会の若い人たちがコンサートをしてくれました。中高科や婦人の集いから案内をさし上げた方たちがけっこうたくさんきてくださっていました。そして不思議なことにそこで話されていた言葉は、英語、韓国語、スペイン語、もちろん日本語もですが、後ブラジルの人やフィリピンから来た人などいろんな国の人たちがお出でになったのです。その皆さんがコンサートの後、一つになって交わりをしておられたのを見て、神様が働いてくださったのだなあと思わされました。私たち茂原バプテスト教会が自分たちの枠の中にとどまるのではなく、神様が集められる人たちに開かれた群となっていくようにということも、このヨブ記から読み取ることができるのではないでしょうか。
老いも若きも、外国から来た人も、病気の人も、苦しんでいる人も、悲しんでいる人も、ホームレスの人も、誰もが集まることができ、誰もが神様の恵みにあずかることができる教会になっていきましょう。みんなで神様のために働いていきましょう。