2007年9月9日 塩山宗満
ルカによる福音書 10章25-37節
私たちの隣人は誰かと考えてみると、やはり自分にかかわりを持つ、家族、兄弟、親戚、仲の良い友達、教会の仲間、そういう人たちを思い起こすでしょう。でも、イエス様がこの話を通して教えておられるのは、「隣人とは自分が定義するものではなく、場面場面によって与えられるものだ、そしてその隣人にどう対応するかが一人一人に求められているのだ」ということでしょう。
「行って、あなたも同じようにしなさい」とのみ言葉に出会って、なかなかそのようには生きていくことが出来ない自分がいませんか。ルターは、このサマリア人はイエス様だと言います。イエス様でなければこのような生き方ができないのです。当時、サマリア人にとっては敵であったユダヤ人のためにやるべきことをきちんと行った、それがイエス様の生涯を浮かび上がらせます。戒律に縛られて自由を失ったユダヤ人、まことの神を信じない異邦人のためにご自分の命を十字架の上に捨ててくださったイエス様。私たちのために苦しみに会い、それでも愛しつづけ、私たちが命に生きるためによみがえってくださったイエス様。
私たちにいま求められているのは、このイエス・キリストをわたしたちの救い主として信じることだけなのです。そうして信じたら、このサマリア人のように生きる力も与えられるのです。イエス様を救い主と信じて、この人生を生き続けていきましょう。そして、神様の愛を隣人に示す生き方をこの身に付けていきましょう。