2007年10月14日 塩山宗満
詩編 42編1-12節
今月の讃美歌の一つは、「谷川の流れを慕う鹿のように、主よ我が魂 あなたを慕う」と記されています。これを歌っていると、とても美しい光景が目に浮かぶようですが、この詩編42編を読み進めていくと何だかとても辛い状況の中からこの詩を歌っているようなのです。まず、書き出しからして、新共同訳では「涸れた谷川」となっています。ユダヤ地方は短い雨季と長い乾季があり、谷川とはいっても水がないときが多いのです。渇いている鹿が必死に険しい坂や急な崖を下って谷川に水を飲みに降りていくのですが、きてみると川が涸れている。この涸れた谷川の岸に立った鹿は吠えるように声をあげて苦しさを訴えます。この詩の作者は、この鹿の姿と自分の姿を重ねて、魂が神様を求め、神様に近づこうとしているのですが、神様がどこにおられるか見えない、そんな苦しい状況を語っています。
でも、私たちはどんな状況に置かれても、神様なしでは生きていくことが出来ないのです。いろんな問題が降りかかってきても、どんなに周りの人たちが私たちを神様から引き離そうとしても、いやたとえ私自身が神様から離れようとしても、涸れた谷に鹿が水を求めて、大声でほえるように、神様、わたしの魂はあなたを求めます。そう、宣言をしているのです。「涸れた谷に鹿が水を求めるように 神よ、わたしの魂はあなたを求める。」神に、命の神に、わたしの魂は渇く、と叫んでいます。神様は私たちの命の元なのです。