2007年11月11日 塩山宗満
ヨハネの黙示録 14章14-20節
新約聖書が収穫とか、刈り入れとか言う時はイエス様が再びこの世界にお出でになって世の終わりが来る、と言うこととつながっています。イエス様は手に鎌を持っておられます。神様にとって、収穫の時は裁きの時でもあるのです。でも、だれがこのような裁きに耐える事ができるでしょう。わたしたちはこの裁きを、私たちに代わって負ってくださったイエス様が、私たちが生きていても、息を引き取ってからも守り、支えてくださることをあらためて覚えて、感謝したいと思います。
そして、周りにはまだイエス様の事を知らない人たちがたくさんいます。私たちは、「地上の穀物は実っていないので、刈り入れを待ってください。ぶどうの実は熟していません、待ってください」と言わざるを得ません。人が土に種をまかなければ種は成長もしないし、刈り入れを迎えることもできません。私たちは種をまきつづけなければならないのです。
一人でも多くこの教会に集まってほしいと、心から願います。同時に私たちが出て行くことも必要かな、と思うことがあります。神様の言葉を求めている人で、この教会に足を運ぶことができない人はいないか、そのことも考えてみましょう。神様を必要としている人、苦しみの中にある人がまだまだこの町にもおられるのではないでしょうか。そのような人たちをどうやって探し出していったらよいか、皆さんと一緒に考えていきましょう。