2008年1月6日 塩山宗満
ローマの信徒への手紙 5章1-11節
「このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。(2節)」
信仰を与えられたものは、キリストにあって喜びと恵みを感謝するのですが、それだけではない、もっと恵みがあります。今は神様だけのもので、まだ私たちには与えられていない神の栄光、言い換えると神様からの永遠の命を将来のいつのときにか与えられるという保証を、「希望」として戴いています。 将来の希望は与えられていますが、いまのこの世界での私たちの歩みもばら色なのでしょうか。いやいや苦難に満ちている、とパウロは語ります。キリスト者であっても、すべての人と同じように暗やみを歩かされている時がありますし、その上にクリスチャンとして生きていくことによる苦しみさえ加わってくることもあります。そんな苦しみによって、イエス様を通して与えられた喜び、希望、様々なことに対して戦っていく勇気をなくされてしまうのではないでしょうか。
パウロは「いやいや、そうではない、私はその苦しみさえ、誇りとします、この苦難の道は最終的な栄光と喜びを戴くための道しるべなのです」と語ります。希望を与えられているキリスト者は苦難を耐えれば耐えるほど、試されれば試されるほど鍛えられてますます希望が湧いてくる、そのような生き方をすることができるのです。聖霊によって、神様の愛が私たちの心に注がれているから、私たちは希望を持ちつづけることができるのです。