2008年1月20日 塩山宗満
ローマの信徒への手紙 6章1-14節
私たちは自分の行いを正したから、神様に認められてクリスチャンになるのではなく、自らの罪を自覚し主を信じて、神様から恵みの賜物として救いを戴き、信仰を告白したからバプテスマが許され、そして新たに生きるようになったのです。そこで、自分自身を神に献げてこれからの人生の歩みをしていきなさいとパウロは勧めます。
イエス様に出会って、罪を赦された私たちはもう、罪から解放されて、自由に生きることができるのです。けれども私たちの現実を顧みると決してそうとは言い切れないところが残ってしまいませんか。でも、神様に出会って、救いに入った私たちは、以前と同じではなく、違った価値観と生き方が与えられているのだから、実際の生活でも新しい歩みが始まるのだ、ということをしっかり心にとめておきましょう。バプテスマを受けているという、神様と人々の前ではっきり見えるものがありますから、古い自分との境界線がそこにできるのです。
私たちはどうして今日ここにいるのでしょう。神様の不思議なお導きによって集められているとしか考えられません。この教会を立ち上げた時からずっといる人も、他の教会でクリスチャンになって加わった方も、まだバプテスマを受けておられない方も、みな神様がここに呼び集めてくださっているのです。
新生讃美歌 407番の言葉が心に響きます。
主と共に罪に死に 主と共にほふられ
主と共によみがえり 主と共にわれ生く