2008年2月10日 塩山宗満
ローマの信徒への手紙 7章14-25節
「わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。(15節)」
パウロのこのような内部分裂、苦しみは一体どこから来るのでしょう。ここでは、自分が生きたいように生きることが出来ない、それは罪のせいであると言っています。良心を持った自分がいるのに、同じ自分の中に別の法則があって、自分を罪のとりこにしてしまうのだ、というのです。
「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。(24節)」
こんな心の叫びは手紙の中に書くような文章でしょうか。パウロの内側で、正しく生きたい自分と、罪を犯してしまう自分が戦っていて、負けてしまいそうになり、罪の中に沈んでしまいそうになり、死に追いやられてしまいそうになるのです。誰がこの惨めな私を救ってくれるのでしょうか、と叫んでいます。
そして、突然25節の言葉にたどり着きます。「わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。」主イエスがおられなければ何にも出来ない、生きていくことも出来ない。「ああ、イエス様ありがとうございます。神様、ありがとうございます。」と叫んでいるのです。読んでいる私たちも、ほっとしますね。
私たちの中での矛盾、苦しみの対立は私たちが生きている間ずっと続くでしょうが、主イエスを信じる者が勝つことはもう見えているのです。希望を持って、感謝を持って私たちに与えられたこの人生を歩んでいきましょう。