2008年3月9日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 8章1-11節
イエス様がエルサレムの神殿に入っていくと律法学者やパリサイ人たちがある女性を捕まえてイエス様のところへ引っ張ってきました。姦通の現場を捉えたというのです。どうしても言い逃れのできない状況の人を連れてきてイエス様に裁かせ、「偽教師ぶり」をみんなの前にはっきりさせてしまいたい、と思ったのです。イエス様の答えは「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」というものでした。
神様との関わりや人々との関わりの中で、犯してはならない罪を私たちは犯してしまうのです。この女性をイエス様のところへ連れてきた律法学者、パリサイ人たちは困ってしまいました。お互いを見やりながら、自分は罪のないものだとあえて主張することはできませんでした。真摯に自分のことを振り返ったならば、石をこの女性に投げることはできないのです。
あの人がしたことはゆるすことができない、そんな思いになることは良くあります。深く傷つけられたときには私たちは心と体が痛みます。逆に傷つけてしまうこともあり、そのときもわたしたちは自分の足りなさに押しつぶされそうになります。わたしたちにできることは傷つけられたとき、赦せないと思ってしまったときはイエス様の十字架を見上げて、赦すことができるものにしてくださいと願うしかできません。周りの誰かを傷つけてしまったときにも、十字架を見上げて、赦して戴けるように祈ることしかできないでしょう。わたしたちも赦されたものとして、それにふさわしい生き方ができるように祈って歩んで参りましょう。