2008年3月23日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 20章11-18節
今日はイースター、復活祭。春のいろいろなしるしとともに訪れるこの復活祭は、クリスマスと違ってキリスト教会でなければお祝いをしません。教会の、わたしたちの信仰の基となる出来事、イエス様の復活を記念する日です。
マリアは墓の外に立って、泣いていました。愛する主イエスが十字架にかけられて死んでしまって、希望が全くなくなってしまったのです。そこに、イエス様が「婦人よ、なぜ泣いているのか。」と訊ねられます。そして「マリア」というイエス様の呼びかける声にマリアは「ラボニ、先生!」と答えます。マリアはその声でイエス様だとすぐにわかりました。このマリアの答えで、彼女はイエス様が甦られたことをはっきりと理解し、後の世に知らせてくれました。
弟子たちのところへ駆けていって「わたしは主を見ました!」と叫んだとき、泣いていたマリアの顔は涙が拭い取られて、喜びにあふれていたのではないでしょうか。このマリアに起こった出来事は私たち一人一人にも起きています。甦ったイエス様に出会った私たちも、もう泣いていません。この日は祝うべき日、死と苦難を打ち破って、活き活きとした希望にあふれる日なのです。
そこで私たちは初代の弟子たちのように教会に集まり、聖書を読みつづけ、神様の導きが教会に集まる一人一人にあるように祈りつづけていくのです。「私は主を見ました!」と叫んだマリアに習って、私たちも一緒に「私は主を見ました!」と叫ぼうではありませんか。