2008年5月25日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 5章19-30節
この世での私たちの命は終わりが来ます。どんな人でも死ななければなりません。死とは、私たちのすべてがなくなってしまうのですから、恐ろしい、不安なものです。イエス様も死の前には、ゲッセマネの園で苦しみもだえて、血の滴るような汗を流して祈られたのです。その恐ろしい死に対して、聖書はその先の希望を語ります。
死んだ後私たちがどうなるかを一番良く理解できるのは、既に起こったことを聖書から読み取ることです。絶望の内に十字架上で死んで、墓に葬られたイエス様は、身体を持って甦られました。神様がイエス・キリストを死んだものの中から復活させられたので、そのイエス様を信じる私たちには神様が同じ事をしてくださると信じることが出来ます。それは人間としての私が再び生きることを意味しています。
そして、そのような「永遠の命を与える」という約束を神様からいただいている私たちは、この今の世の中を神様とともに歩むのですから、喜びを持って、頂いた命を大切に生きていくのです。一方、私たちの命は自分だけのものでもありません。神様を信じて生きていくということは、神様の僕として選ばれてもいるのです。神の僕はまだ神様のことを知らない人たちに神様の恵みを知らせるために選ばれています。それは、一人で行うのではなく、教会と言う、召し出された人たちの集まりの中で用いられていきます。家庭で、職場で、学校で、地域社会の中でいろんな形で用いられていくのです。そのことをしっかり憶えながら、神様に感謝をしながら、与えられている毎日を大切に生きていきましょう。