本文へスキップ

 Mobara Baptist Church

「キリストを証する聖書」

2008年6月1日 塩山宗満

 ヨハネによる福音書 5章31-47節

 イエス様が神の御子、主であるというのはどうすれば「証明」できるのでしょうか。自分で証しをしたらどうだろう、いやいや、そんなのは証しではありません。では、バプテスマのヨハネの話。ヨハネがイエス様のことを「見よ、神の小羊」と言って、救い主であることを指し示しましたが、人々はイエス様のことを聞こうとはしませんでした。
 そこで、イエス様は「自分をこの世に送った父なる神が私を証しするのだ」といわれます。でも、ユダヤ人たちには神様の姿が見えないし、神様の声が聞こえません。そこで、父なる神は人々が神のことをよく分かるように、御子イエスをこの世に送りだされました。イエス様はご自分の「業」、すなわちイエス様がされることと、イエス様のお話になった言葉が証しになっているのだと言われます。人はイエス様の業を見て、言葉を聞いて、「信じる」しかないのですが、ユダヤ人たちは信じなかった、とイエス様は語られます。
 それでも、ユダヤ人たちは「私たちには聖書がある」というかもしれません。ここでいう聖書とは、「旧約聖書」です。ユダヤ人の中には、ファリサイ派とか律法学者とか、聖書に強い人たちがいました。でも、彼らはイエス様のところへ来ませんでした。聖書は、イエス様を証しするものです。今、私たちが持っている (新約・旧約) 聖書にはイエス様のことがあれだけ記されていますから、証しすることができます。また、私たちも一人一人がイエス様に出会っていますから証しすることには困りません。今週も、証しするものとしての歩みを続けてまいりましょう。


日本バプテスト連盟
茂原バプテスト教会

〒297-0012
千葉県茂原市六ツ野3394-5

TEL/FAX 0475-22-8275

牧師 塩山宗満