2008年6月15日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 6章34-51節
命とは生きることですから、イエス様はご自分を生きるための糧、パンだと言っておられます。聖書は、生きることを「神様を知って生きるもの」と、「神様に背を向けて生きるもの」の二通りであることを語っています。神様は私たち人間に神とともに生きる生活をするように望んでおられるのですが、人間の側がなかなかそれに気がつかない、そこで、御子イエスを送って、この人を見れば神とはどんな存在かわかるようにしてくださいました。そのことに気がつきさえすれば、イエス様を信じてイエス様のところへ行きさえすれば、イエス様はその人たちにパンを与え、飢えることも渇くこともないようにしてくださるのです。
イエス様は「私は命のパンである」を言われます。そして、その言葉どおり、当時の弟子たちは、イエス様が命のパンであることを知って、本当の意味で生きて行くことができるようになりました。それから2000年後に生きている私たちも「イエス様は命のパンである」と記されている聖書を読むことによって生きて行く意味を知ることができるのです。「祈らざるを得ない状況、苦しい状況の中から聖書を読み通すことに導かれ、信じるということはこういうことかとあらためて知らされました。」とイエス様を信じることの喜びを語ってくださる仲間もおられます。イエス様が命のパンであることを身に染みて、感じておられるのです。私たちも同じようにイエス様のみ言葉を戴きながら、祈りながら、神様に生かされていく毎日を送ろうではありませんか。