2008年6月22日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 7章1-11節
イエス様は「わたしの時はまだ来ていない。(6節)」と言われました。新約聖書では時間を表す言葉はカイロスとクロノスという二つあります。クロノスは、日々、刻々と過ぎていく時、いわば普通の時。これに対して、カイロスは、この日常の刻々と過ぎてゆく時の中に、神様によって打ち込まれた特別の時なのです。ここで、イエス様が「わたしの時はまだ来ていない。」と言われたときはカイロスという言葉が使われていて、神様による決定的なとき、即ち十字架と、復活という特別のときはまだ来ていない、と言っておられるのです。そして、この決定的なとき、というのは、今の私たちにもあるのです。
神様は私たちを愛してくださって、いつも神様の下に来るように招いておられるのですが、私たちが神様を信じて、受け入れるタイミングというのはそんなにしょっちゅうではないでしょう。ある意味では私たちの人生の特定の、短い期間に神様を信じるか、信じないかという迫りがやってきます。それが、聖書がいう、クロノス、神様のときなで、その、本当に神様が導いてくださっているときを逃すと、しばらくは機会が与えられないのではないでしょうか。
私も50年前、中学生のときに友人に誘われてふらっと入った教会とそれからの一年がなかったら次に神様に出会えるチャンスがどこにあったかは分かりません。こうしてここで、皆さんと共に礼拝をすることができる恵みを、神様に与えられている時として喜び合いたいと心から願うのです。神様を共に礼拝する、というのも神の時に生きる、その時なのです。