2008年7月6日 坂元幸子(東京バプテスト神学校講師)
創世記 12章1-9節
アブラムはイスラエル民族の祖先アブラハムの最初の名前です。彼は75歳の時、父テラが亡くなったハランの地で神様の語りかけを聞きます。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい」、こう呼びかける神様は、アブラムに祝福の約束を下さいました。アブラムは神様の約束の言葉に従って旅立ちました。行く先を知らない出発でした。「祝福」が子孫や財産の繁栄を意味した古代世界で、後継ぎのいないアブラムは、最後の藁の一本にすがりつくような思いでこの「祝福の約束」に寄り頼んだのかも知れません。アブラムは未来への保証を何も持たず、いや何も持たないからこそ、「今、ここで」、神様の言葉に全人生を委ねたのです。神様は彼の旅に伴って彼を導き、彼はやがて「信仰の父」アブラハム〜「国民の父」の意味〜として、多くの人々の祝福の基となりました。
アブラムに与えられたこの祝福の約束は、今の私たちにも与えられています。神様は私たちを通し、私たちを用いて、神様の祝福を周囲の多くの人に届けようとなさっているのです。神様の語りかけは、時には、思いがけない場所や、タイミングや、状況の中で起こります。神様は日々私たちの人生の「今、ここで」、私たちに呼びかけられるのです。「わたしに従って来なさい。あなたを祝福しよう」と。この祝福の約束を信じて、そのみ声に従い、私たちも日々、「今、いるところ」から立ち上がりましょう。「信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています・・・それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためです。」(ガラテヤ3章9節、14節)