2008年10月19日 塩山宗満
詩編 65編1-14節
パレスチナ地方はもともと砂漠に近い地帯ですから、雨が少なく、いつも旱魃の危険にさらされていました。イスラエル人は雨を降らせてくださるのは、主なる神、ヤハウェの祝福と信じました。乾いていた土が豊かな雨によって潤い、作物の芽が一斉に顔を出すことを描いています。ここらあたりは畑をやっておられる方には身近に感じられるのではないでしょうか。恵みの雨は、羊に草を与え、麦を実らせてくれます。
この詩の素晴らしいところは、単に収穫を感謝するだけではないところです。実りの感謝だけであればパレスチナ地方で言えば、バアル神への信仰も同じです。日本の秋祭りも殆ど、収穫感謝の祝いです。その収穫に対する感謝という点だけを見ると、主なる神様、ヤハウェの神への信仰も他の神々への信仰も同じように見えます。けれども、収穫感謝の叫びを上げる前に、まず、「背いたわたしたちをあなたは贖ってくださいます」という罪の告白と救いへの喜びが述べられ、神と心から生きた交わりをする、そのことを喜んでいるのです。
聖書の神様はそのように私たち人間と人格的に関わってくださるので、私たちもこの様にして教会に集まり、礼拝に出席し、祈祷会で祈ったり個人的に祈りをしたりし、教会学校や婦人の集いや、個人個人の交わりの中で聖書を通して神様のみこころを知るようになっていくのです。私たちもこの詩人のように、私たちの毎日の歩みの中で罪を知って、悔い改め、天地を創られた神に感謝し、そして豊かな実りをもたらす雨を降らせて下さる神様に感謝を献げる、そんな日々であるように祈ります。