2008年11月2日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 11章28-44節
「ラザロ、出てきなさい」とのイエス様の声により起こったラザロの甦りはどんな意味を持っているのでしょうか。先に、マルタは、「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。(27節)」と信仰告白をしました。本当はこの信仰告白で充分なのですが、それだけでは神様の栄光を見ることができない人もいます。そこで、イエス様はラザロを死から甦らせる事によって神様のみ業を見せ、神様の栄光を表されました。多くの人たちがそれによってイエス様を信じたと記されています。
私たちのこの地上での命はいずれ終わりが来ます。甦ったラザロも結局はまた死んでいったのです。けれども、イエス様はご自分が十字架上で死を受け止め、そして復活されて、それによって私たちに永遠の命を約束してくださいました。私たちはもうこの世での死を恐れる必要がなくなりました。このことを心から感謝したいと思います。
私たちの教会の立ち上げのときの指導者であった川口正雄先生の語られたこと、祈られたことがこの教会の歩みに今も脈々と流れていて、基本になっています。そして初代の牧師としてお出でになって1年半で天に帰っていかれた渡辺邦博先生も今の私たちの教会のさまざまな仕組み、聖歌隊とか、主題聖句の朗読とかを残していかれて、私たちの礼拝がとても豊かになっています。お二人とも今は父なる神とイエス様が共にいてくださっているのです。そして、私たちもイエス様の「永遠の命」の約束を信じて、安心して、大変なときがあるかもしれませんし、辛い日々が続くかもしれませんが、毎日の生活を、神様から戴いた日々として、大切に歩んで参りましょう。