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 Mobara Baptist Church

「憐れみの器」

2009年1月11日 塩山宗満

 ローマの信徒への手紙 9章19-33節

 神は陶器を作る人のように自由に一人一人を作ることが出来るので、作られたものがその造り主に対して口答えをするなどとは、出来ることではない、と言って、パウロは19節の問いに対する答えを方向転換します。同じ粘土から一つを尊いことに用いる器を、もう一つは尊くないことに用いる器を作ることが許されていないのか、と問うのです。
 わたしたちは神に作られた器のようなものです。器ですからいろいろな形に造られているので、当然、一人一人が違います。そして、器だったらその中にいろいろなものを入れることが出来ます。♪イエスは愛で満たす、聖霊で満たす♪ という讃美歌をわたしたちは時々手話をつけて歌っています。わたしたちはイエス様によって、愛で満たされることも出来る器なのですが、現実はどうでしょう。わたしたちは自分の人生になんと不満が多いのでしょう。怒りが多いのでしょう。この器を怒りや不満にあふれさせ、それを神にぶつけて、このような「なぜ」という問いを発してしまうのです。
 滅びに陥れられるしかない器を神は寛大な心で耐え忍ばれた、と記されています。憐れみの器とは憐れみを受けるのにふさわしくはなくても、神が待って下さり、滅びの器であった人たちを憐れみを受ける器として変えてくださっていると言うことです。
 「神はわたしたちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました。(24節)」という言葉は私たちへの最大の祝福の言葉ではないでしょうか。


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牧師 塩山宗満