2009年3月1日 塩山宗満
ローマの信徒への手紙 12章1-8節
パウロは、ここで「私という存在全部、身も心もすべてを神の前に供え物として献げなさい」と言っています。
私たちは信仰告白をして、バプテスマを受けて、クリスチャンになって、喜びや感謝はあるのだけれども、自分が聖なる者であって、神に喜ばれるものであるかどうかについては自信がありません。依然として罪を犯してしまう現実があるからです。パウロは、そのような私たちを良く知っていました。7章では自分も罪の中に苦しんでいることを告白しています。けれども、彼はそのすぐ後で、「わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。(7:25)」といって、主イエス・キリストに自分を委ねています。失敗はするかもしれませんし、罪を犯してしまうかもしれません。でも、主イエスが打ち勝ってくださっていますから、私たちは神の赦しの内に置かれており、確信を持って毎日を歩んでいけばよいのだと言います。
そして、この自分の全存在を神の前に献げることが、私たちのなすべき礼拝であるといっています。この礼拝ということは日曜日の午前中のこの11時から12時までの礼拝のことだけではありません。私たちが置かれている場で神に導かれた生活をすることが礼拝、サービスなのです。どうしたら良いか分からなければ祈って決断をして、後は神におまかせする、という骨太さを身につけましょう。
私たちが自分を献げ物として差し出したときに、神が私たちを新しく造り替えてくださって、何が良いものなのかを見極めることができるようにしてくださいます。一度だけではなく、繰り返し、造り替えていただくように願い続けなければなりません。そのように生きていこうではありませんか。