2009年3月8日 塩山宗満
ローマの信徒への手紙 12章1-8節
パウロは「私たちはキリストに結ばれた、からだのそれぞれ部分であって、それぞれ違う働きをしている」と語ります。主イエスが教会の頭となっておられて、そこへ主を信じた人が一人一人、カチンとはめ込むように主に結ばれ、聖霊が注がれだし、手だとか足だとか目だとかの働きを始めるのです。
預言の賜物とはこれから先のことを語るというより、神が預けられた言葉を語るということで、礼拝での宣教も預言の一つです。預言は人々を建て、力づけ、慰め、教えます。人々がこれを聴いたら、罪を告白して神を礼拝するようになるというのです。
奉仕の賜物とは、食卓の働き、貧しい人や弱い人たちへの配慮をすることで、初代のキリスト教会にはこのように生活面での助け合いをする仕組みがあったようです。いまでもその流れは脈々と続いており、たとえば私たちバプテストでもホームレス支援をしている教会がたくさんあります。
教えるものとは、聖書を教え、福音を信じるものの生活の仕方について教え、勧める人とは、人々を慰め、励まし、訴え、分かりやすく教育する人たちのことです。そのほか、施しをする人、指導する人、慈善をする人のことが記されています。
憶えておきたいとは、この勧めが教会内にとどまるものではない、ということです。この働きはキリストを頭とする教会の働きとして、主イエスを信じる人たちに与えられる賜物なのですが、その働きの結果はこの地域や、皆さんの家庭、学校、職場などにも広がっていくものなのです。
ご一緒に私たちがなすべき業を探していきましょう。