2009年4月26日 塩山宗満
マタイによる福音書 5章1-12節
「心の貧しい人々は、幸いである」とイエス様が言われるときに、言い換えると、「人から見放され、神に頼ることだけしか出来ない存在であることを知っている人」のことを言っています。そういう、神にしか頼ることができない人に、天の国は与えられるというのです。天の国はどんなところでしょうか。主の祈りで「み国を来たらせたまえ みこころの天になるごとく 地にもなさせたまえ」と祈っています。神の御心が行われるところ、神が共におられるところが神の国、天の国なのです。
イエス様は人が思いもよらないようなことを求めてこられます。皆自分の心は豊かだと思っています。でも、よくよく振り返ってみると、自分は実に貧しい、ということに気がつきます。そのような気付きを神から与えられた人は幸いだ、天の国が備えられているのだ、と言っておられるのです。
神の助けなければ生きていくことが出来ないことに気付いたものたちが、貧しいものたちが、こうして今日もここに集められています。十字架と復活を通して私たちに命を示してくださった主イエスに感謝して、今日も礼拝に集まることができました。そのように貧しさを知らされた私たちですから、私たちはここから自分のことだけでなく、私たちの周りの人たちのことも憶えながら、生きていかなければなりません。教会も人の集まりで、罪人の集まりだから足りないことが一杯あります。でも、足りないからこそ、ここで、祈ることを赦していただき、ここにいない人たちのことを憶えることが出来、そして天の国を味わうことが出来るのです。