2009年5月3日 塩山宗満
マタイによる福音書 5章7-12節
憐れみ深い人とはどんな人のことを言っているのでしょうか。聖書のもとの言葉では、ただ単に同情するとか、気の毒に思うと言った他人事ではなく、自分を真剣に相手の立場において、相手と同じ気持ちでものを見たり、感じたりすることを言っています。他の人と一緒に苦しむ、相手が経験していることを自分も同じように経験する、という意味なのです。そうすると、主よできませんと、自分の足りないところを叫ばざるを得なくなり、そこで神が手を伸ばしてできるようにしてくださるのです。相手の立場に立って考えるようになれば、私たちは間違った独りよがりの同情をしなくなるでしょう。
憐れみ深いという言葉のもう一つの意味は他の人の過ちを赦すことが出来る、ということです。私たちは、自分の過ちについては周りの人たちに寛容であってほしいと願いますが、他人の過ち、間違いに対してはとても厳しく追求してしまいます。人のことは良く見えるのです。でも、憐れみ深い、すなわち、相手と同じ気持ちでものを見たり、感じたりするようになると、他の人の過ちを自分の過ちと同じように見ることができ、隣り人の過ちを赦すことが出来るようになるのです。それは「自分も神から赦されているという恵み」を戴いているからです。教会という場も人の集まりですから意見の対立はしょっちゅうあります。それは必要なことなのですが、意見の違いを超えて、神さまのゆえにお互い赦しあいながら物事を進めていくことができる場なのです。そのような群を造りあげていきましょう。