2009年5月10日 塩山宗満
マタイによる福音書 5章13-16節
「あなたがたは地の塩である(13節)」といわれたときに、イエス様は弟子たちに、「あなたがたは福音を自分のものにするためだけに招かれたのではない」と言っておられます。塩は食べ物に振りかけられて調理されるときに溶けて、味をしみ込ませていきます。そのように、弟子たちにも、キリストの福音をこの地上で染み込ませて、人々の人生の歩みに味をつけていくように語っておられるのです。
イエス様は「あなたがたは世の光である。(14節)」とも言われます。クリスチャンですばらしい働きをして、「世の光」だと言える人がたくさんいます。そんな偉い人たちと私たちを較べてもらっても困る、と思ってしまいますが、私たちでも、あとから振り返ってみると記念誌「きせき」にあるように、地の塩、世の光として歩ませられていることに気が付きます。わずかな人数で歩みを始めたこの教会はここに建てられていることで世の光としての役割を果たしているのです。
執事会、2月に行った新年度を考える会でもこの教会の次の10年の祈りの課題を探していこう、という話題が出されています。私たちの教会がどんな教会像を目指していくのか、どんな人たちを迎えようとしているのか、そのためにはどんな人材や設備が必要なのか、それを考えていかなければなりません。
一方で、この「教会」という場だけが地の塩、世の光を実現する場ではなく、家庭や、学校や、地域での働きが見えてきます。皆さんが生計を立てておられる仕事でも塩や光の働きを示すことはできます。どうぞ、教会のこれからの歩みを考えるのに加えて、自分のこれからの働きがどんなものであれば、地の塩、世の光になるかを考えて見てください。これはお一人お一人、それぞれに与えられるものですから。