2009年8月30日 塩山宗満
マタイによる福音書 9章9-13節
マタイがイエス様に呼び出されて従っていったところを読むと、わたしもこのようにすべてを捨てて、イエス様に従うことが求められているのかなあ、という思いがあります。同じ徴税人のしかも、かしらだといわれていたザアカイという人がいます。この人はエリコという町でイエス様に出会って、しかも「今日あなたのうちに泊まる」と言われて大喜びをした人なのですが、彼は「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。(ルカ19:8)」と言って、仕事はそのままで、正しい徴税人になることを約束しています。
私たちは神さまから呼びかけを受けて従った後、自分の人生を神の意志に従って歩んでいくことが求められます。マタイのようにすべてを捨てて従うこともあるでしょうし、ザアカイのように与えられた仕事を通して神に仕えていく道もあるのです。皆さんも自分が何をもって神に仕えていくかを探してください。
このファリサイ派の人たちのところを読んで、この人たちは一部のクリスチャンそっくりだ、という人もいます。ある人は熱心に教会に通い、奉仕もたくさんするけれども、どこか人を裁いてしまうところがある、というのです。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。(9:13)」と言われたイエス様の求めておられるところをしっかり確かめて、神を愛し、隣り人を愛することができるようお祈りをしましょう。そして、そのような教会にして戴くよう、イエス様に願っていきましょう。