2009年9月13日 塩山宗満
マタイによる福音書 10章1-15節
イエス様はお選びになった12人の使徒たちにご自分がされていた働きを委ねようとされました。その弟子たちを訓練のために送り出すとき、イエス様は「町や村へ入ったらふさわしい人を探し出してその人の所に留まりなさい。そしてその人の家に入って、『平和があるように』と挨拶しなさい」と言われます。イエス様が話しておられた言葉はアラム語で、ヘブライ語も同じなのですが、挨拶の言葉はシャローム、「平和がありますように」と言う意味ですから、こう言いながら挨拶をしたようです。
「シャローム、平和がありますように」と呼びかけている家とはどんなところでしょう。嬉しいこと、楽しいことが一杯あって、喜びの内にある家だったら、同じく「平和がありますように」とすぐに喜びを返してくるかもしれません。でも、現実にはこの弟子たちが訪ねていった家々は、問題をたくさん抱えていたかもしれません。貧しくて明日の食べ物さえないうちだったかもしれません。イエス様はそういう家にも敢えて訪ねていって「平和がありますように」と言いなさいと言っておられます。
皆さんのそれぞれのところにも、問題、課題があるかもしれません。でもイエス様はそのような課題がたくさんある所へも出かけていって、「平和がありますように」と語り、祈りなさいと言っておられるのです。なぜなら、イエス様の「平和」、シャロームは課題を一杯抱えているような所でパワーが発揮されるからなのです。そのような所にこそ神の言葉、神の愛、そして祈りが力を持つからなのです。