2009年10月4日 塩山宗満
詩編 73編1-28節
私たちには分からないことがたくさんあります。神に逆らう人が平安に暮らすことができるのもなぜかは分かりません。神の前に正しく生きようとしている人が苦しみに会うのもなぜか分かりません。神のことだって私たちがすべてを知りうるものでもありません。でも、この詩人は神が恵みによって一方的に手を差し伸べてくださって、神の元に留まることが出来ることを知っています。神からの導きによってそのことに気が付いたのです。がんばって、がんばってそこにたどり着いたのではありません。そして、結論を述べます。「わたしは、神に近くあることを幸いとし、主なる神に避けどころを置く。わたしは御業をことごとく語り伝えよう。(73:28)」私たちにはまだまだ分からないことが一杯あります。でも、礼拝の中で神と出会って、神との交わりに入れられた後では、そのような人生のなぞは残ったとしても、与えられた神への確信はずっとずっと私たちから離れることはありません。この詩人は、周りを見ながらよい行いをしようと努力するところから、神の招きを受け入れ、信じるところへ入れられたのです。そして、神のみ業を語り伝える働きをしようと語ります。
私たちの教会でも、皆さんが様々な困難なことに出会っていても「あなたがわたしの右の手を取ってくださるので、常にわたしは御もとにとどまることができる。(74:23)」と言う所を、体で体験しておられるのです。さあ、わたしたちも神の聖所、礼拝に出席して、神からの一方的な恵みを体験しましょう。そして、神の恵みを頭ではなく、この体全体で知って、神に近くあることの幸いを実感しましょう。