2009年11月15日 塩山宗満
マタイによる福音書 11章25-30節
「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。(30節)」くびきとは、畑を耕すときに牛などの家畜をつなぐための、木で作られた道具です。くびきはそれぞれの牛などに合うように寸法を測って、手作りで作られていたようです。負いやすい、という言葉は、体に合った、という意味もあります。イエス様のくびきは、オーダーメードで、一人一人にぴったりしたものを用意してくださいます。
イエス様はそこで、私たちの重荷をなくしてしまう代わりに、くびきをご自分が一緒に引くことによって共に担ってくださいます。そして私たちはイエス様と共に歩き、イエス様から歩き方を学んで行くのです。そこに私たちの平安が、生まれてきます。私たちが元から持っていて、まだ片付いていない重荷もイエス様が共に担ってくださるのですから安心です。
その上で、私たちはイエス様から託されたものも担わなければなりません。イエス様から与えられるくびきはどんなものでしょう。イエス様を信じて歩む私たちに求められていることは、礼拝に出て、神の言葉を聞き、共に主を賛美する。自分の時間の中に聖書を読み祈るときをとる、そして神からいただいたものをきちんと献げものとしてお返しする。そのようなことです。イエス様は私のくびきは軽いと言われます。また、もう一つのくびきがあるかもしれません。それは私たちの周りの人に神様の愛を伝える、周りの人たちのために、家族のために祈る、そのようなくびきです。この軽いくびきをしかもイエス様と一緒に担って、与えられたこの世での生活を歩いていきましょう。