2009年11月22日 塩山宗満
マタイによる福音書 12章1-8節
ある安息日にイエス様の一行が麦畑を通っていかれたとき、弟子たちが麦の穂を摘んで食べたことがあり、それを見咎めた人たちがいました。ファリサイ派の人たちです。彼らは律法学者(律法の専門家)たちと一緒にモーセの十戒からさまざまな細かい規定を作り上げ、安息日についてもそれを守ることを民衆にもとめました。
この、安息日の規定は、まず、休みなさい、ということが基本にあって、それと、あなたがたの思いを神に向けなさいと言う二つのことが込められています。ファリサイ派の人たちの問題は、何がその日に許されていることかを自分たちで決めることによって、あたかも自分たちが安息日の主であるかのように振舞っていたことにあります。安息日の主は神であって、その神から遣わされた主イエスなのです。
「安息日は人のために定められた(マルコ2:27)」のですから、この日は人が人として生きるために必要なことを神から戴く日なのです。今の私たちの安息日は主イエスのよみがえりを記念して日曜日です。この日は安息の日、そして、礼拝の日です。神に出会い、神の言葉を聞き、また神の兄弟姉妹たちと会って、ともに賛美を歌い、祈りをする日なのです。この日を大事にしましょう。私たちの毎日は、日曜日の礼拝から始まるのです。そして、いろいろな事情でここに来ることが出来ない人たちのことを覚えて祈ってください。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』と言われたイエス様のことばに従って、私たちの心を神に向け、イエス様に向け、祈り、賛美をし、み言葉に聞き入って毎日を歩んでいきましょう。