2009年11月29日 塩山宗満
マタイによる福音書 12章38-42節
ここでイエス様が言っておられることはただ一つ、神を信じ、主イエスを信じるものになりなさい、ということです。そこからすべてが始まります。だから、しるしは、イエス様ご自身だけであって、その他のしるしをイエス様はお示しにならないのです。
ひとたび、イエス様を信じて受け入れると、黙示録3:20 「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」とあるように、イエス様が私たちの所に来てくださり、食事をともにしてくださるのです。そうなると、私たちはイエス様に何を願っても良くなります。イエス様は私たちの祈りを、願いを受け止めてくださいます。私たちの熱心な祈りが神を動かすのではなく、私たちがイエス様を受け入れ、迎え入れる時に、イエス様が私たちを動かして祈らせ、願いや祈りを起こさせてくださるのです。
今日は世界祈祷週間の特別礼拝で、私たちバプテスト連盟が送り出している海外宣教の働きを知ることが出来ました。タイ、シンガポール、インド、ルワンダでの様々な働きが行われており、私たちもその働きのために祈り、何らかのお手伝いをしたいと願っています。そこでも主イエスが救い主であると言う一点を伝えつづけているのです。そして私たちの教会もこの場所に会堂が与えられて11年、やはり、イエスキリストが救い主であることだけを宣べ伝え続けています。しるしを求めつづける信仰ではなく、神に対する愛と信頼を持った信仰を持ち続けることが出来るように祈りましょう。