2009年12月20日 塩山宗満
マタイによる福音書 1章18-24節
マリヤが身ごもっていることに気がついたヨセフは「正しい人」であったので、起こった事実を見逃す事ができず、ひそかにマリヤを離縁しようと思いました。そこへ天の使いが現われ、「マリヤは聖霊によって身ごもったのであって、彼女を妻として受け入れて、生まれてくる子どもの名前をイエスとしなさい」と語ります。ヨセフは信仰によってこの言葉を受け入れました。イエスという名はユダヤ人の間で広く使われていたごく普通の名前でした。ヘブライ語や、イエス様の時代に話されていたアラム語ではイェーシュア、それのギリシャ語での呼び方が、イエスで、「ヤハウェ(主)は救い」を意味しています。イエス様はその生涯を通して、「主は救い」であることを示してくださいました。
イエス様のもう一つの呼び名、「インマヌエル」は、「神は我々と共におられる」という意味です。系図とイエス様の誕生の記事で始まったマタイによる福音書はその最後のところで、よみがえって弟子たちに現われたイエス様が「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。(マタイ28:20)」という、約束の言葉を語られて終わっています。クリスマスはこの約束を思い起す時です。クリスマス、即ち、イエス様がこの世に来られたということは神の人間の歴史への決定的な介入で、起きるはずがないことが起きたその時なのです。イエス様が来てくださったことの喜びをかみしめながら、共にいてくださる神、インマヌエルの神を感謝しながら、わたしたちもまた「誰かと共にいることができる者」となるように願ってまいりましょう。