2010年4月4日 塩山宗満
マルコによる福音書 16章1-8節
「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。(16:6)」 天使はイエス様が復活されたことだけを告げています。イエス様のよみがえりはこのようにただイエス様を慕っていただけの、ふつうの女性たちにまず知らされたのです。ここから驚くべき神の、この世と人間に対する愛が世界中に知らされていくのです。でも、この時女性たちはそれどころではなかったようです。「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた(16:8)」と書いてあります。彼女たちは絶望の上に恐怖が加わり、身動きが出来なくなったのです。「そしてだれにも言わなかった。恐ろしかったからである」と書いてあります。多くの学者はマルコによる福音書はここ16章8節で終わっていると言います。
ではこの女性たちの沈黙からあの広がりを持ったキリスト教がどのように生まれてきたのでしょうか。聖書を読んでみると、弟子たちがイエス様の復活に出会うと、初めは恐れ、おののいているのです。イエス様の復活に驚くべき喜びを見出すようになるまでに時間がかかっています。でも、そこでともされた火が、燃え広がり、2000年後には私たちにも伝えられ、今日またこうして一人の若い兄弟がその火を受け取って燃やされていきました。私たちのすべてをご存知で、私たちにいのちと愛と力を与えようと待っていてくださるイエス様、そのイエス様を信じて、人生を歩んでいこうではありませんか。