2010年4月25日 塩山宗満
創世記 7章6節-8章22節
洪水は終わりました。神がこの洪水を起こそうと思われたのは人が余りに罪深いからだったのですが、そのことは解決したのでしょうか。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。」ここを読むと、人はまったく変わっていないことがわかります。どれだけ洪水が恐ろしくても、人の思いは悪いままで、変わっていないのです。一方で、神のほうが変わってくださって、そのような悪い思いを持ったままの人間であっても、共に歩み、忍耐をし、この人間を支えようと決心をしておられるのです。
この言葉を読みながら、私は時々起こる自然災害のことを思います。数年前のスマトラ島沖地震と津波によって22万人の死者が出たといわれていますし、今年初めのハイチ地震でも20万人以上の死者が数えられるということです。そのような地震がどういう意味を持つのか、考えさせられてしまいます。この聖書の個所で、神は明らかに洪水や地震などの自然災害を、人々を懲らしめて滅ぼすためには決して用いない、と言っておられるのです。
このノアの物語で、神は人間に対し深い憐れみと赦しと愛をもって関わる、と宣言をしておられるのです。そのことは主イエスのご生涯を通してさらにはっきりとしてきて、そのイエス様を受け入れるだけでよいということを聖書は一貫して語っています。私たちも、まだクリスチャンになっていない方たちも、神の愛と赦しをこのノアの物語から読み取って、主イエスを救い主と信じるものとなって毎日を歩んでいくように心から願います。
(引用聖句:マタイ6:31-33、イザヤ41:10、ローマ3:25)