2010年5月30日 塩山宗満
使徒言行録 2章36-42節
ペトロが「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。(2:36)」とユダヤ人たちの罪を追及すると、人々は大いに心を打たれた、と記されています。この、心を打たれ、という言葉は、もとの言葉では、錐で心臓に穴をあけられるようなきりきりとした痛みを感じる、という意味の言葉です。このペトロの言葉を聞いていた人たちは、救い主がまもなく与えられる、という期待をもって世界各国から帰ってきてエルサレムに住んでいた人たちでした。この人たちは待ち焦がれていた救い主を自分たちが十字架にかけて殺してしまったと聞かされて心臓を錐で突かれたような痛みを感じたのです。そして、弟子たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と尋ねました。
そこでペトロは「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼(バプテスマ)を受け、罪を赦していただきなさい。 (2:38)」と語ります。この言葉を受けてこの日多くの人たちがバプテスマを受けたと聖書は記しています。
聖書を読み、礼拝を守り、主の晩餐式とバプテスマの二つの礼典にあずかり、祈りをする、これらのことは私たちの信仰生活にどうしても必要なものなのです。2000年後の私たちの教会でも同じ事がされています。これからももっと多くの人たちに神の言葉を伝え、神の国が広がるように祈っていきましょう。いろいろな国の言葉で、また手話で神の言葉が広がっていきます。私たちもその広がりの働きを神から任されていますから、ご一緒に担って行こうではありませんか。