2010年6月6日 塩山宗満
使徒言行録 3章1-10節
「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。(3:6)」ペトロは、彼が与えることのできるものをあげようといって、その人の手を取って立たせたところ、足やくるぶしがしっかりして、その人は立ちあがり、歩き出したのです。躍り上がって立ち、と書いてありますから、並みの喜びようではなかったでしょう。
この二人の使徒がしたことは何だったのでしょうか。自分の力を用いたのではなく、ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい、という言葉を伝えたことでした。イエス・キリストの名がこの人に信仰を起こさせ、そして、その信仰がこの人を立ち上がらせたことです。
これが、教会がこの世に与えつづけてきたことなのです。たとえ病気や障害はそのまま残ったとしても、躍り上がって、喜んで飛び跳ねてしまうような、そのようなイエス様との出会いは私たちも経験することです。そしてこの茂原バプテスト教会でも2000年前と同じように、イエス・キリストの福音だけを語りつづけているのです。金や銀はこの教会にはありません。でも、教会はひとびとを立ち上がらせ、躍り上がるような喜びを与え、神によって与えられた人生を生きていく力を与えることができる場所なのです。それは、人々の力によってではなく、イエス・キリストの名によって行われるのです。ご一緒にこの神が与えてくださる喜びを味わい、イエス・キリストの名を伝える働きに励んでまいりましょう。
(引用聖句 出エジプト20:5-6、ヨハネ9:2-3)