2010年6月13日 塩山宗満
使徒言行録 3章11-20節
「あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。(3:13−15)」ペトロはユダヤ人に対して、あなた方はこの、神がメシアとして立てられた方を十字架にかけて殺してしまったのだ、と鋭く告発します。
救い主を十字架にかけて殺してしまった罪はどのように、償うことができるのでしょうか。ペトロは「だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。(3:19)」と人々に勧めます。あの知らずに犯してしまった、「救い主を十字架にかける」という罪は到底、赦してはもらえないことなのですが、「悔い改めて立ち返る」事をすれば神がご計画になった救いにあずかることができるのです。
2000年前のユダヤ人たちや、その後のパウロの伝道で福音を聞いた異邦人たちは主イエスを救い主と信じることによってこの救いにあずかりました。それから2000年経った今の私たちはどうでしょう。私たちは直接、主イエスを十字架に架ける現場にいたわけではありません。けれども私たちは知っています。もし私たちがそこにいたら、救い主を十字架にかけてしまっただろうということを。そして、そこで、2000年前と同じように悔い改めて立ち返ることができれば、神は私たちを赦してくださり、私たちは神の愛を身近に感じ、「主の慰めの時」を味わうことができるのです。イエス様が共に歩いてくださるという喜びを味わうことが出るのです。そして教会は人々が悔い改めて立ち返るべきことを語り続けるのです。
(引用聖句 申命記18:15 イザヤ53:1-6)