2010年9月19日 塩山宗満
マルコによる福音書 2章1-11節
「イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。(2:5)」この言葉を読んでみて、ちょっと理解に苦しむところがあります。と言うのは、中風の人に「あなたの罪は赦される」と言われたのはなぜか、ということです。この中風の人の信仰を見て、そういわれるのなら分かります。でも、イエス様はその人たちの信仰を見て、と書かれていますから、この病気の人を運んできた4人の人たちの信仰を見て、中風の人の罪が赦されると言っておられるのです。
これはこの人のことが他人事ではない、自分にとても関係のあることだったのです。イエス様はこの人たちの、なんとしてでもイエス様のところに連れて行こうという思い、熱心さ、思いやりを認め、それを「信仰」と呼んでおられるのです。何とかしてこの人を救ってほしいと言う願いをもつ関係を作り出している信仰なのです。キリスト教とはこの交わりを作り出す宗教なのです。
皆さんが信仰告白をし、バプテスマを受けてクリスチャンになると天上において、見えない教会、使徒信条で言う公同の教会、時代も地域も、宗派も何も超えた、イエス・キリストを主と信じる信徒の群れの一人となります。同時にこの地上では神が導かれるどこかの教会の一員となってそこを根拠にして信仰を育て、耕し、神のために働く場とするのです。ですから、私たちはわざわざ毎週家から出かけてきて、教会に集まって礼拝をし、交わりを持ち、祈祷会や談話室「ノア」などの集会で教会の仲間のことを覚えて祈りあい、支えあうのです。