2010年10月3日 塩山宗満
詩編 90編1-17節
わたしたちの一生と言うのはどんな意味があるのでしょうか。ここで詩人は「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。(90:12)」と述べます。私たちが神を信じ神に従うことによって、私たちは人間が何のためにこの世に命を戴き、また死んでいくのかをしっかりと知る事ができるのだと言っています。生涯の日々が神に用いられることをしっかりと認めているならばたとえ20年、30年の短い生涯であっても、その一生の意味はあるし、長さも十分長く生きたと言えるのではないでしょうか。
天地を創造された神が、わたしたちの人生を見ておられます。神がわたしたちの生きると死ぬとを、見ておられるので、神の目の前にしっかりと自分の人生を見つめて生きていくことができれば、その人生は長くても短くても意味があるのです。
このことは、新約聖書コリントの信徒への手紙一15:58にある「 わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。(コリ一15:58)」というパウロの言葉でも確かめることができます。わたしたちの人生はイエス様を信じてしたがっているかぎり、毎日の生活をしていく中での苦労は無駄にはならないことを語っているのです。神に与えられた毎日をイエス様を見上げながらしっかり生きていきましょう。