2010年10月17日 塩山宗満
詩編 100編1-5節
「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。喜び祝い、主に仕え、喜び歌って御前に進み出よ。」最初の言葉、全地とはイスラエルだけでなく、当時の全世界をさしています。外国の地にいた人たちが、そこから帰ってきてエルサレム神殿での祭りに加わるのを楽しみに旅をしてきました。そして神のみ前に出る喜びを、叫びとして表していて、加わっている礼拝が喜びを爆発させる場になっています。私たちもここで全地よ、と呼びかける以上、この礼拝は今、ここにいる私たちだけに限定されているのではなく、広く多くの人が招かれていることを改めて思い出しておく必要があるでしょう。今日の私たちの礼拝は、来たくても来られない人、さまざまな妨げにあって礼拝出席が難しい人などの「ここにおられない人たち」、「まだここへ招かれていない人たち」のことも覚えながら献げられていく必要があります。
「主に向かって喜びの叫びをあげ」ることは、イスラエルの民だけの特権なのでしょうか。いえいえ、この神に造られた恵みと、神の愛はその後改めてイエス様を通して、全世界の人々に用意されているのです。エフェソ2:10にあるように、私たちが存在するのは、神が前もって準備してくださった善い業のために、イエス様において造られたのです。なかなか仕事が見つからない、どうやって暮らしていこうかと悩んでいる人がいます。病気で身動きができず、苦しんでいる人がいます。人間関係が絡まってしまって身動きができない人がいます。そのような人たちもやはり、善い業のために作られた人達なのですから、安心して、勇気をもって課題に挑戦していきましょう。
(引用聖句 エフェソの信徒への手紙2章10節)