2010年10月31日 塩山宗満
ヨハネによる福音書 8章31-38節
今日は宗教改革記念日で、493年前の今日、ルターが95か条の提題をウィッテンベルクの教会の扉に貼ったのです。彼は「キリスト者の自由」と言う本で次のような問題提起をしています。
◆ キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない。
◆ キリスト者は、すべてのものに奉仕する僕であって、何人にも従属する。
キリスト者は、この一見矛盾するような二つの主張をどちらにも従って生きていく存在なのだと言うのです。ルターはここで、第一の主題についてこう言っています。「内なる霊的な人間は神の言葉のほかは、その人を生かし、自由にするものを何も持っていない。神は信じる人に対してあなた方を滅びから救い出すために、キリストをお送りになった。そのキリストを信頼し、信じつづけるなら罪が赦され、滅びから解放され、神はあなたをあらゆることから自由にする。」
一方でそのように生かされている人は、この世での生活をどう生きていくかが問題となります。ルターは「キリストに従う人たちが自分を打ちたたいてでも体を内なる霊的な人間に従わせるようつとめなければならない(1コリ9:27)」と語ります。信仰によって神の愛と喜びとを知ったキリスト者は、自由に、自発的に、喜びにいっぱいに隣人に奉仕する生活が始まるのです。500年前にルターが聖書の中から発見した神に従うことの意味を私たちもここでもう一度確かめて、私たちの生活をその「神の下に生かされている自由と、その神に従って、隣人に仕える自由」とを味わって、そのように生きていこうではありませんか。