2010年11月14日 鈴木重義
ルカによる福音書 23章34節
使徒パウロは、キリストの愛が私たちを宣教に駆り立てている、と訴えます。実に福音宣教の主体はイエス・キリストです。従って私たちの宣教はキリストの霊力によってのみ実りが与えられます。
まず私たちは神の伝道の従者として、一人でも多くの人に福音を告げ知らせるために極力、相手の立場や信条に近寄る必要があります。そしてキリストの言葉、十字架の愛の霊的豊かさを隣人と分かち合う喜びの機会を追い求めるため、日々の生活を奉仕の節制、愛の禁欲の姿に整えるべく励みたいものです。
次に異教社会の少数者たるキリスト者は、異教や世俗に流されたり、妥協したりすることのないよう留意すべきです。但し、私たちは異教や世俗に従う人々と徒に対決したり、些細なことで摩擦を起こすべきではありません。むしろ、和顔愛語をもって謙遜に「聞くに早く、語るに遅く」を心がけたいものです。
なお、主イエスは世を裁くためではなく、世を救うために十字架死と復活のみわざを与え給うたのです。異教社会の日本に生きる私たちは未だキリストの福音が届いていない多くの人を覚えて祈らなければなりません。教会は、そのための伝道共同体です。
更に私たちは、残念ながらキリストの言葉を聞く機会もなく現世を去っていかれた多くの人々を心に覚えます。幸いにも復活した霊のキリストは、死者の世界へも現れ、すべての死者に御声をかけ、彼らを神の国の救いへと招いて下さることを、私は(聖書によって)信じます。それゆえ、私たちは終末の希望の内に生者と死者の主なるキリストのみわざが天にも地にも成就するよう祈るのです。