2010年12月5日 塩山宗満
ルカによる福音書 3章1-18節
主イエスのお生まれになるころのユダヤでは、まもなく世の救い主が現れるだろうということを期待し、またそれを強く確信して生きていた時代だったようです。なぜ、人々はそんなにメシアの到来を待ち望んでいたのでしょうか。ローマ帝国の圧政の下で,ユダヤの人々は預言者の語っていた強いメシア出現を望んでいました。人々が期待するメシアは一口で言えばダビデのような強力な王国を再建してくれる王の姿でした。また、パリサイ人などの宗教家から差別と律法によるがんじがらめの束縛を受けていました。そこで、神がメシアを遣わしてくださって、自由と開放をもたらしてくださることに期待をしたのです。
今の私たちも待っています。私たち一人一人が神様の導きの下に毎日生きていく中で、喜びもたくさんあります。が、さまざまな問題にもぶつかります。イエス様に出会ってもう信仰を与えられてすべて順調に進むはずなのに、問題がいっぱい出てきて、神様何とかしてくださいと叫びたくなることがあります。ここで、私たちは「神様、きてください!」と祈らざるを得なくなります。待ち望むのです。主イエスのご誕生という歴史的な出来事を懐かしむだけではなく、主イエスがもう一度この世に来られる、それを待ちなさい、と勧められていて、主の祈りで祈っている事柄がこの地上で起きるのを待つことも許されているのです。「み国を来たらせたまえ、み心の天になるごとく地にもなさせた給え!」その様に祈りながらこの待降節をすごしていきましょう。