2010年12月12日 塩山宗満
ルカによる福音書 1章39-56節
マリアが訪ねていってエリサベトと会いました。この二人は大違い、エリサベトはもうかなり高齢で、永年祈り願って、それでも子どもが生まれずに、もうあきらめかけていたところへ神からのメッセージが夫、ザカリアのところへ届いて今は妊娠6ヶ月。
一方マリア、エリサベトとは対照的な、今で言えば十代の未婚の母ないしは出来ちゃった婚と見られても仕方のない、場合によっては石打の刑に処せられるかもしれない状況です。その身に覚えのない受胎をマリアは神の導きとして「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。(ルカ1:34)」といって受け止めました。そのような、背景がまったく違ったエリザベツとマリアの二人が神様によって子どもを与えられ、まもなく出産を迎えようとしています。
マリアの声を聞いてエリザベトのおなかの子が踊りました。エリザベトは聖霊の示しにより、自分の子どもの使命と、マリアからまもなく生まれてくる救い主との違いを良く分っていました。神がマリアに伝えた知らせが、初めて他の人によって確かめられたのです。そのことを知ったマリアは自分に与えられた「救い主の母となる」使命を確信したことでしょう。マリアの生涯はここから、イエス様を産んで、育てて、神の国の福音を述べ伝える生涯へ送り出して、そして、十字架の悲劇と復活の出来事があり、ペンテコステの出来事に出会うのですが、一貫して神への信頼と自分の子供であるイエス様への信頼を持ち続けていました。その原点に「力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。」という感謝あふれる思いがあったのです。